こんにちは〜!!
ブログをご覧になっていただきまして、ありがとうございます!!
さて今回は、2019年に公開され、当時社会問題にまでなった『ジョーカー』の続編である、2024年10月公開「ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ」を私なりに、考察、見どころの紹介をしていきたいと思います!!
ジョーカーの映画を見た方や、これから見ようかと考えている方に、特におすすめの記事になっています!!
なお、ネタバレを含みますので、あらかじめご了承の上、読んでいただきますようお願いします。
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カンタンに映画のあらすじ紹介!(飛ばしてOK!)
「ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ」は、2019年の大ヒット映画「ジョーカー」の続編で、アーサー・フレック(ホアキン・フェニックス)のその後を描いた作品です。
タイトルの「フォリ・ア・ドゥ」はフランス語で「二人狂い」を意味し、一人の妄想がもう一人に感染し、複数人で同じ妄想を共有する精神障害を指します。
物語は、前作でジョーカーに成り果てたアーサーが、リー・クインゼル(レディー・ガガ)と出会うところから始まります。二人の関係が深まる中で、彼らの狂気が群衆に伝播し、新たな事件が巻き起こります。
この映画は、現実と妄想の境界が意図的に曖昧にされており、どの登場人物の視点で見るのかによって、全く捉え方が変わってくる内容だったと思います。
さらに、この映画での登場人物はすべて、そもそもアーサーの妄想であり、現実には存在していない人物という風にも取れるため、解釈の幅がとても広い映画だと感じました!
見どころ
この映画は、正直かなり複雑だと感じたため、何もない状態から、筋書きを完全に理解しようと努めると、かなり難しいと思いました。
そこで、この映画を楽しむ上で、ここに注目するといいかも!と思うポイントや、見どころを僭越ながら、いくつか挙げさせてもらいました!!
今作を楽しむためには、
”現実と妄想の境目がどこであるか”と言うことと、”1部『ジョーカー』と似たシーンを、今作ではどのように考察するか”ということが、大切なのではないかと筆者は思いました。
現実と妄想の境界
この作品では、1部『ジョーカー』よりも現実と妄想の区別が、さらに曖昧になっていると感じました!
前作『ジョーカー』では、主人公のアーサーは精神疾患を患っており、それによる影響で現実と妄想の境界が曖昧に描かれていました。
今作でもそれは引き継がれており、すべてが現実かもしれないし、すべてが妄想と取ることもできると思いました。
解釈によって、アーサーの心情の読み取り方が、大きく異なると思います。
『どの場面が現実で、どの場面が妄想なのか?』
ここを意識してみてください!!
音楽と映像の融合
そして、この妄想と現実の判別をする上で、私がヒントになると感じたのは、劇中で多用されていた、ミュージカル調の演出です!!
今作の大きな特徴として、
1作目の『ジョーカー』と異なり、非常に多くの場面で音楽を取り入れられている。
ということだと思います。
また、使用される音楽は明るい曲調のものが多く、それがかえって物語の不気味さを際立たさています。
今作は、アメリカで日本よりも先に公開されていましたが、今作をあまり面白くなかったと感じる層も多くいたようです。
彼らの意見は、このミュージカル調ついて言及されている方が多い印象でした。
具体的には、ミュージカル調にする意味がわからないということや、退屈に感じた、という趣旨の指摘が多かったです。
しかし一方で、ホラー映画の主人公をあえて小さな子供にし、可愛らしい子供と、怖いお化けの対比構造で、怖さがより引き立つような演出と似ているのかなあと感じました。
また私は、音楽を使用したミュージカル演出が、使用されているタイミングが、ポイントだと思いました!
結論から言うと、音楽を使用されている場面はすべて、アーサーの妄想であり、頭の中での出来事だと思いました。
特に、アーサーがリーと接触する場面では、音楽を使用される場面が多く、より印象的に描かれていました!!
本作では、アーサーが刑務所の中でアーサーとして獄中の生活を送る中で、徐々にジョーカーとしての姿を取り戻していきます。
さらに物語が進むと、今度はリーの服装やメイクに、ジョーカーっぽい要素や雰囲気が増えていき、ハーレークイーンが完成していきます。
そうして二人の距離はぐんぐんと近づいていき、奇妙な協力関係のようになっていきます。
ジョーカーとしてのアーサーと、ジョーカーの影響を感じる外見のリーが、1部『ジョーカー』でアーサーの長年の憧れであり、物語終盤にかけて強く裏切られたと感じた、テレビスターのマレーを殺した、あの例のスタジオで、二人がデュエットをするシーンが印象的でした。
1部『ジョーカー』では、あのスタジオで生放送中にマレーを殺すことで、ジョーカーとしての意思を世間に向けて、ウイルスのようにばら撒きました。
これにより新たに生まれた、次世代のジョーカーであるリーが、今度はアーサーを妄想の中で殺すと言うことに、意味があると感じました。
この場面は、のちに裁判所で、アーサーがこれまでにやってきた悪事は、ジョーカーとしてではなく、アーサーとしてしたことであると認め、告白し、結果的にリーを裏切るようなことになるということを示唆しているのではないかなと感じました。
一旦整理すると、
1部では、テレビスターのマレーにアーサーは自身を重ねていたが、その像が壊れてしまい、それに深く絶望し、マレーを殺す場面として描かれました。
2部の今作では、マレーを殺して悪のカリスマとなった自分自身が、本当はスターでもなんでもなく、そのことがリーのような信者たちを裏切ることになり、その結果アーサー自身が殺されるということを、描いていると感じました。
1部『ジョーカー』では、悪のカリスマに成り上がっていく様を描いていたのに対して、今作では、悪のカリスマとしての大衆の持つ理想像が、壊れていく様が描かれていると感じました。
煙のシーン
この映画を見る上で、注目したい演出の一つに『煙』があります。
この『煙』は、象徴的な意味で、『ジョーカーが持つ邪悪な心』を写したものだと感じました。
アーサーは物語の序盤から、ジョーカーとしての人格と、アーサーとしての人格の2つの間で揺れ動いている様子が描かれています。
刑務所の中や、記者の取り調べのシーンなど、たくさんの場面でタバコを吸う様子を、執拗に入れ込まれており、これが差し込まれている場面は、『ジョーカーの持つ邪悪な心』が起こしたことだと感じました。
アーサーが、リーに対してタバコの『煙』を吹きかけ、リーがそれを吸い込むシーンは、『ジョーカーの邪悪な心』がアーサーからリーに移動するのと同時に、アーサーがジョーカーとしての人格を無くしていくことを、示しているのではないかなと感じました。
また、裁判所が爆撃されるシーンも『煙』が多用されています。
裁判の終盤で、アーサーはこれまでの自身の過ちを認めますが、その直後に裁判所が攻撃され、甚大な被害が出ます。
裁判所の周りにいた、ジョーカーの覆面をした、たくさんのジョーカー信者たちが爆撃による『煙』のなかに描かれ、多数の被害者が出ている中を、アーサーはむせ返りながら何も耳が聞こえない状態で、脱出する様子がとても印象的でした。
アーサーが1部でばら撒いた、ジョーカーのウイルスが民衆の多くに伝染し、世界中でたくさんの被害を出す中で、アーサー自身はすでにジョーカーではないということを、煙にむせ返っている様子や、ジョーカー信者の騒ぎが聞こえない様子を用いて、象徴的に描いていると考えました。
アーサーは『煙』に息を詰まらせて、現場から離れていく様子は、ジョーカーの意思は、すでにアーサーの手を離れてしまい、制御不能になっていることを表していると感じました。
例の階段を今度は登っていく。
こうして強力な悪意が、民衆に影響を与え、制御不能となる様子を描いたシーンがもう一つあると感じました。
それは、1部ではジョーカーの姿をしたアーサーが、転げ落ちるように踊りながら駆け降りた階段を、今回はアーサーがアーサー自身の姿でリーのいる情報へ駆け上がっていくシーンです。
このシーンは、
1部で『アーサーがジョーカーに堕ちていく様子を、階段から転げ落ちることを使って表している』のに対して、
今作では、『自身の中にあったジョーカーの意思が失われ、ただの人間でしかないということを表している』
と感じました!
決定的だったのは、階段を登った先のリーが、アーサーに対して、
”あなたはジョーカーではない”
とはっきりと言ったシーンです。
そうしてリーは、ジョーカーではなくなった、ただのアーサーから離れていってしまいます。
このシーンは、アーサーが演じ続けたジョーカーとしての、悪のカリスマ像に惹かれた人々が、多いのであって、アーサー自身には何のカリスマ性もなく、最初から何も変わっていないということを表していると感じました。
裁判所で、アーサー自身が罪を認めたにも関わらず、ジョーカーではなくなった彼の手元には、何も残らないというのが、とても残酷な現実だと感じます。
最期
そうして刑務所に連れ戻されたアーサーですが、まもなくジョーカーの悪意を持った、モブキャラに滅多刺しにされてしまいます。
このシーンは、1部『ジョーカー』でアーサーが、職場で意地悪をされ続けていた同僚を刺したシーンと、意図的に類似されており、新たなジョーカーが生まれていく様子を示唆していると感じました。
まとめ
私の考察と、見どころの紹介は以上になります。
今作は悪のカリスマが、再び普通の人間に戻っていき、一方で、彼が生み出したジョーカーの意思がもたらした民衆の暴走が、止められなくなっていく様を描いた作品だと感じました。
1部と対応する場面が多用されているのが、個人的に楽しめたポイントでしたので、皆さんにも共有できていたら嬉しく思います。
また冒頭にも書きましたが、今作はとても難解だと感じました。
そして、その原因の一つとして考えられるのが、ミュージカル演出によるものだと感じました。
しかし、ミュージカル調がそれほど世間ウケが良くないかもしれないことは、制作の段階から分かっていたのではないかなと思います。
それでもあえて、この演出を前面に押し出しているのは、1部で大ヒットしたからこそできる、横綱相撲のような気がしました。
私は、ジョーカーの持つ奇妙さを表すのに最適な手法だと感じました。
また、今作でのアーサーが、大衆からの支持を得られなくなっていく過程に対応しているため、素晴らしいと思いました。
合わせて、ストーリーの展開は、前作から考えて全く無理のないものであり、それほど大きな事件やイベントが起きず、順当なストーリー展開だったと思います。
ここに意外性を求めていた方は、がっかりしてしまったのかなと思います。
しかしこれも、1部の非常に高い完成度を考えると、作る側の人たちはかなり難しかったのではないかなと思いました。
皆さんは今作にどのような感想を持ちましたか?
賛否両論の今作だからこそ、各々が感じる純粋な感想を、大切にするべきであると私は感じました。
今回のブログは以上になります。
最後まで読んでいただきまして、ありがとうございました。
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