『再現性』【ショートショート】
「素晴らしいお知らせです!」
医師は興奮冷めやらぬ顔で私の肩を強く握った。
「あなたの細胞には極めて珍しい『寿命』というバグがあります。なんとあなたは、死ぬことができる体質です!」
がんも老化も完全に克服され、不老不死が「標準」となって久しいこの世界。瞬く間に噂は広まり、私は羨望の的となった。「ついに終わることができるのか、おめでとう!」と、誰もが涙を流して祝福した。しかし、私自身は少しも嬉しくなかった。元々死にたいなどと微塵も思っていないのだ。言いようのない恐怖だけが押し寄せた。
だが、数日が経ち、ふと腑に落ちる部分もあった。思えば、私はずっとこの終わりのない世界に違和感を抱えていたのだ。
――発覚する数日前の朝。都心部のオフィス街へ向かう、4月の満員電車。
ドア付近で弾けるように笑う制服姿の学生たちが、ひどく眩しく、別の生き物のように見えた。彼らは途中の駅で降りていく。その背中を見送りながら、私は悟った。自分はもう、あの「限りある季節」に戻ることはないのだと。終わりのない大人の列に並ばされたのだという実感が、新調したばかりのスーツの肩に重くのしかかった。
窓ガラスに映る自分の輪郭をぼんやりと眺める。車内にいる大人たちは皆、肉体こそ若々しいが、その目は一様に老い疲れていた。
中吊り広告には「500年ローンで建てるマイホーム」の文字が躍り、車内で腕時計を身につけている者など一人もいない。今日やるべき仕事を10年後に回したところで、誰も困らないからだ。駅を降りれば、黒とグレーの群衆が巨大なオフィス街へと同じ方向へ漫然と歩いていく。私もまた、そんな永遠に続くレールを進む歯車の一つだと思っていた。
しかし、違ったのだ。
私がこれまで、他の人々よりもどこか物事に執着し、生き生きとしていたのは、無意識下で「自分には終わりがある」と悟っていたからに他ならない。命に期限があるからこそ、幸せのピークを作ることができる。漫然と歩いている時間などない。
私は会社を辞めた。自らの限られた命の価値を最も高められる場所へ行くために。
「いや、だからあの時のプレゼンさ!」
横から飛んできた明るい声に、私は声を上げて笑った。車内で私と楽しげに話しているのは、同じようにベンチャー企業へと移った同僚だ。はしゃぐ私たちは、かつて眩しく見つめていた学生たちと同じ「限りある季節」を生きていた。
電車を降りると、いつものように巨大なオフィス街へと向かう無表情な群衆の波が押し寄せてくる。しかし、今の私は違う。黒とグレーの濁流に背を向け、一人だけ反対方向にある小さな雑居ビルへと歩き出す。
群衆をかき分け、逆走するように進む。すれ違う「死ねない」人々が、信じられないものを見るような、それでいてひどく羨むような目で私を見ていた。私は今、誰よりも強烈に輝いている。
しかし、その輝きがあまりにも強すぎたのだ。
「どうかご安心ください。我々が必ず、あなたを救ってみせます」
ある日、私を捕らえた政府の研究者たちは、満面の笑みでそう言った。「これほど貴重な『命の輝き』を持つサンプルを、寿命などで失わせるわけにはいきません。人類の未来のために、永遠に生きていただきます」
彼らに悪意は一切なかった。ただ100パーセントの、純粋な善意と使命感だった。
度重なる手術と改造の末、私は完全に「治療」された。
再び、都心へ向かう4月の満員電車の中。
吊り革に掴まる私の目には、もう何も映っていない。頭の中にあるのは、今度こそ心から「死にたい」という痛切な願いだけだ。しかし、強固に改造された体は、かすり傷ひとつ負うことすら許してくれない。永遠の命という絶対的な檻の中で、私はただ呼吸を繰り返すだけの肉の塊になった。
窓ガラスに映る自分の顔を、ぼんやりと眺める。
そこにはもう、かつての逆走するような輝きはない。車内の大人たちと同じ、どんよりと濁った目をした男が、ただ果てしない退屈の始まりを見つめ返していた。
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