『通貨的儀礼』【ショートショート】
「残高不足です。これ以上のカロリー摂取は、生命維持期間の前借りに該当します」
セルフレジの無機質な音声が鳴り、私は慌ててカゴからゆで卵を一つ戻した。腕に埋め込まれたタイマーの数字が、チカチカと点滅している。
お金という不平等な概念が解体され、「時間」が唯一の公正な通貨となってから、世界はとても清潔になった。誰もが命の長さという財布を持って生まれ、ジュースを買うために寿命を5分削り、労働することで他人の時間を自分の口座にチャージする。借金とは、文字通り自分の未来を切り売りする行為だった。
私が今働いているのは、富裕層向けの「親」派遣会社だ。
この合理的な世界において、一番の資産家は生まれたての赤ん坊である。彼らの口座には、手付かずの時間が80年分も満ちている。誕生直後の厳密な寿命スキャンによって先天性の疾患が見つかった個体や、すでに時間を使い果たした高齢者は、「不良債権」として社会のシステムから速やかに間引かれていく。とても無駄のない、美しい仕組みだと思う。
「バブー」
雇用主である0歳のオーナーが、不快げな音声を発した。私は自分の寿命を3時間削って購入したオーガニックコットンの布で、丁寧にその唾液を拭う。もしオーナーの機嫌を損ねて親の契約を解除されれば、私は明日生きるための数分すら稼げなくなってしまう。資産を持たない大人たちは皆、こうして裕福な赤ん坊たちのオーディションを受け、選別されるのを待っている。
少子高齢化というバグが完全に修正され、「高子少齢化」が極まった社会の風景は、ここ数年でさらに効率化が進んだ。
時間を何よりも尊ぶ裕福な子供たちは、やがて複雑な思考やコミュニケーションを「タイムロス」として切り捨てるようになった。服を着る時間すらもったいないと言って、体毛を濃くする遺伝子調整が流行している。今、広場に集まる若き富裕層たちは皆、立派な獣のような毛並みをしている。
複雑な倫理は排除され、純粋に力(つまり時間)を持つ者が絶対的なボスとして群れを統率する。動物園で見た猿山のようなその光景は、究極の効率化がもたらした、全く無駄のない「進化」の形なのだと私は思う。他人の目には退化に見えたとしても、彼らの肉体は社会の要請に完璧に適応している。
広場の中心で、美しい毛並みをした若者が二人、向かい合っていた。
彼らの腕のタイマーはもう、鬱陶しい数字のやり取りを放棄し、真っ暗な画面になっている。デジタルな通信決済すら、今の彼らには非効率なのだろう。
一人が、茶色く硬い木の実を差し出す。
もう一人が、黄色く曲がった果実を差し出す。
「ウホ」
「ウホ」
短い音声が交わされ、二つの物体がスムーズに交換された。
時間という概念すらも脱ぎ捨てた彼らが、全く新しい、完璧に合理的な経済システムを発明した瞬間だった。私はその光景の機能的な美しさに、ただ静かに息を吐いた。
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